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役員紹介

佐藤剛由

代表取締役

佐藤 剛由

HERO~バリアフリープロレス~ 代表

NPO法人 バリアフリーエンターテイメントサポート 理事長

映像・webクリエイター

イベントプロデューサー

東京都出身

■身長・体重

186cm・72kg

■趣味

愛犬と遊ぶこと

バリアフリープロレスのパイオニア「ヤミキ」こと佐藤幹夫の長男として生まれる。
聴覚障害の両親を持つ健常者であり、どちらの事情も分かる立場にあり。その体験を新聞に連載した経験もある。

 

2005年、プロレス2団体のスポンサー企業へ就職

2007年、某プロレス団体の顧問として活動

2008年、NPO法人日本聴覚障害者エンターテイメントサポートを設立、理事長に就任。

2009年、某総合格闘技運営会社の大会企画部長へ就任し興行経験を積む。
2010年ヤミキと友龍、百太聾と共に「健聴者と聴覚障害者の夢のコラボプロレス」DEAF JAPAN PRO-WRESTLING HEROを旗揚げ。以降14回に亘るプロレス興行を開催。

聴覚障害者と健聴者の間に立ち、その交流を常にサポートして来た。


2015年ワイルド軍団に団体運営権を強奪され、2016年には実父でありHEROの精神的支柱ヤミキを喪うなど辛酸を嘗めたが、2016年8月GPSプロモーション株式会社を設立、団体運営権も取り戻し新たな興行運営へ立ち向かう。


その稀有な体験から、執筆や講演の依頼も後を絶たない。

NHK「ろうを生きる 難聴を生きる」で、ヤミキと百太聾がそれぞれ1回ずつ取り上げられた際には、団体代表として出演しその思いを語るなどした。

 

現在の大会では聴覚障害者に留まらず、視覚障害者や車椅子のお客様も数多く来場・観戦され、かつ一般プロレスファンの観戦も飛躍的に増えた。

ここから「DEAF(聾者)プロレス」と言う名称を廃し、「バリアフリープロレス」と言う新たなジャンルを創造。

「老若男女やあらゆる障害有無を問わず、誰もが等しくエンターテイメントを楽しめる空間」を実現する為、奔走している。

・NHK(Eテレ)2023年7月10日放送 『ハートネットTV(フクチッチ 合理的配慮 後編』 出演

・AMラジオゲスト出演、HBC北海道放送2020年11月7日放送『ラジプロ!リレーバトル』

・NHK WORLD-JAPAN 2019年4月26日放送『A NEW KIND OF WRESTLING HERO』

・NHK NEWS LINE2019年4月26日放送『A NEW KIND OF WRESTLING HERO』

・NHK(Eテレ)2014年7月20日放送 『ろうを生きる難聴を生きる』 出演

・NHK(Eテレ)2014年7月27日放送 『ろうを生きる難聴を生きる』 出演

・AMラジオ、ニッポン放送2018年10月3日放送『あさぼらけ』

・FMラジオゲスト出演(ラヂオつくば・下北FM・エフエムしろいし・かわさきFM)

・共同通信 (全国の地方新聞)2015年1月~3月(計12連載)『CODAを生きる』

・東京新聞(聴覚障害者の闘魂リング2013年2月13日夕刊1面トップ)

・週刊女性(2010年6月29日号『人間ドキュメント』全6ページ)

など他

 

出演や執筆活動多数

・2015年、ショートムービー『D-RED』D-RED 昼川役で出演

豊島修二

会長 

豊島 修二

1963年長崎県諫早市生まれ。

身長174cm

体重83~95kg(状況により大きく変動)

未熟児で生まれ小学6年まで体育の時間は見学組。また生来の酷い吃音で、何をしゃべりたいのか家族すらわからない始末だった。

15歳の頃、太宰治に傾倒し、しゃべれないなら文章でと作家を志すも挫折。

22歳で建設関連の個人事務所を創業、翌年株式会社設立。以来、主に建設業で生計を立てる。

33歳の時に5回目のぎっくり腰を得て入院。しばらく車いすの生活を送る。それをきっかけに建設業を離脱。商工ローン会社で、融資契約・裁判手続きなどの仕事に就く。

5年後、身体が回復した事から建設業に復帰。会社を設立して、代表取締役に就任。6年間は増収増益を続け、プロレス好きが嵩じて団体の応援なども行っていた。

だが姉歯事件・リーマンショックで企業体力を失くし、不動産詐欺に騙され多額の負債を抱え、代表取締役を解任される。

その後、新宿歌舞伎町で路上生活に陥るが1年半後にふとしたきっかけから、華名選手(当時)を知り、試合を観戦し再起を決意。池袋に拠点を構え、個人事務所ジーピーエスを創業、建設関連の仕事を再開する。

2014年2月株式会社オフィス華名社と共催で、カナプロマニア後楽園ホール大会を主催。以降、定期的に6回開催し延べ6,000名のお客様を集めた。

同時にデフジャパンプロレスHEROの佐藤代表と出会い、同団体の支援にも乗り出す。

2015年華名選手のWWE入団に伴い、提携解消。HEROの団体顧問に就任し、内部から支援する事になる。

2016年GPSプロモーション株式会社設立。佐藤HERO代表を代表取締役に指名、華名選手の一番弟子であった小波選手(オフィス華名→REINA女子プロレス→GPSプロモーション→現在はスターダム所属)を所属選手とする。以降HEROの実質的な運営と小波選手のマネジメントを行う。

邪道軍覆面ヒールユニットワイルド軍団のマネージャー「ワイルド・コモン」としてHEROに反旗を翻したり、大仁田厚選手の仲裁でHEROと和解後は友龍と共にFMWに1年間継続参戦。大仁田厚FINAL後楽園ホール大会では、遂に選手として試合に臨むもわずか7秒で敗退。

2017年、元スターダムの安川惡斗(現・惡斗)をリングアナウンサーとして起用し、自身のプロデュース興行プロレスリングGrowthを開始。Growthならではのマッチメイクで5回主催するが、2018年12月の大会を以て、一旦休止としている。

2018年11月には3年に亘ったワイルド軍団との決着戦を、プロレス界前代未聞の「10円興行」として開催。自らも有刺鉄線デスマッチに選手として参戦。「ブレーキの壊れた経営者・豊島会長」として約20分を闘い、血まみれの敗北を喫するも遂にHEROとワイルド軍団を和解させた。この時にリングで生まれた言葉「心は年齢(トシ)をとらない!」は、その後自身の座右の銘となる。

同年12月、ワイルド軍団のベアー・セブン両選手をHERO所属とする。

2019年、数年温めていたワールド・バリアフリー・チャンピオンシップ(WBC)構想をようやく発表。4月のHERO21川崎大会から、初代王者を決めるトーナメントを開催中。

プロレス以外にも、豊島修二として文筆を再開、お笑いコンビ「低体温」のシュウジとして漫才のステージに立つなど、若い頃に一度諦めた夢を55歳にして次々と挑戦中。

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